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第二の黙示録 その2


 ヴァルディア帝国――皇帝執務室。

 静寂に包まれた広間へ、一つの深いため息が静かに溶けていった。

「……はぁ」

 ヴァルディア帝国皇帝、アートス・アーレ・ヴァルディアは、山のように積まれた報告書へ視線を落としたまま額に手を添える。机の上には帝国内各地から届けられた文書が乱雑に並び、そのほとんどが同じ内容を伝えていた。食料価格の高騰。穀物の買い占め。貴族による豪奢な晩餐会。飢える者を横目に廃棄される大量の食材。どれもこれまではアルヴェイン王国で確認されていた事象だったが、今や帝国の日常となり始めていた。

 皇帝は一枚の報告書を静かに閉じると、重々しく口を開いた。

「……嫌な時代になったものだ。」

 その呟きに応える者はいない。広い執務室には、時計の針が刻む音だけが静かに響いていた。やがて扉の向こうから控えめなノックが聞こえる。

「陛下。エイノ・カレヴィ宰相、オツォ・ヴィルタネン近衛大将軍、イルマリ・ラウタ宮廷魔導長がお見えです。」

「……通せ。」

 短い返答とともに扉がゆっくりと開かれる。帝国を支える三人の臣下が、皇帝の前へと静かに歩み寄った。

 皇帝執務室は静寂に包まれていた。高い天井と白亜の柱、磨き上げられた大理石の床。その奥には帝国の紋章を掲げた大きな窓があり、差し込む陽光だけが広い室内を淡く照らしている。装飾は決して派手ではない。それでも、ヴァルディア帝国が積み重ねてきた長い歴史と威厳を物語るには十分だろう。

 現在、この世界には四つの大国が存在している。

 まずは、ここヴァルディア帝国。第一の黙示録の後、崩壊した二つの国家が併合して誕生した大国だ。豊かな穀倉地帯と広大な領土を有し、人類圏最大の軍事力と国力を誇る。

 北には、魔国スオイエリア。信仰という概念を持たず、己の力こそがすべてという思想のもと、今なお領土の拡大を目論む好戦的な国家である。

 西には、アルヴェイン王国。四か国の中では最も新しい国家でありながら、周辺の集落や村々を次々と吸収し、驚異的な速度で発展を遂げた。その国力は今やヴァルディア帝国にも肩を並べるほどとなり、太陽神教を国教として掲げ、その教えを広める太陽神教会が国内で大きな影響力を持っている。

 そして東には、ルナリア教国。月の女神ルナニウムを信仰するルナニウム教の総本山であり、古くからヴァルディア帝国とは深い友好関係を築いてきた。帝国内にもルナニウム教の信徒は多く、両国は政治だけでなく信仰の面でも強く結び付いている。

 この四か国は、それぞれ異なる思想と価値観を抱えながら均衡を保ち、この世界の秩序を支えていた。しかし、その均衡は決して盤石なものではない。信仰の違い、領土への野心、そして国家同士の思惑が複雑に絡み合い、水面下では絶えず火花が散っていた。

 中でも近年、ヴァルディア帝国とアルヴェイン王国の関係は著しく悪化していた。問題の発端は、三年前に始まった魔国スオイエリアによる侵攻である。帝国が北方で激戦を繰り広げる一方、王国は目立った支援を行わず静観を続けたことで、両国の溝は決定的なものとなった。

 地理的に見れば、北方の魔国スオイエリアと最前線で対峙しているのはヴァルディア帝国だ。魔族の侵攻を最初に受け止めるのも、帝国の兵士たちだ。人類共通の脅威である魔族を討つのであれば、本来、人類国家である帝国と王国は手を取り合い、互いに支え合うべき関係にあった。

 しかし、現実はそうではない。アルヴェイン王国は帝国へ積極的な援軍を送ることもなく、ただ国境の向こうから戦況を静観していた。その胸中には、「ヴァルディア帝国と魔国スオイエリアが互いに消耗し、共倒れとなれば都合がよい」という思惑すら透けて見える。帝国が疲弊すれば、人類最大の国家はその力を失う。魔国もまた大きな損害を被る。そして漁夫の利を得るのは、戦力を温存したアルヴェイン王国――。そのような疑念は、帝国の為政者たちの間で日に日に強まっていた。


 そんな中で、最も大きな負担を強いられているのはヴァルディア帝国の民――すなわち、何の力も持たない一般市民たちであった。第一の黙示録から長い年月が流れ、人類は失われた文明をほぼ完全に取り戻した。街は活気を取り戻し、農地は再び実りをもたらし、人々の暮らしも安定している。一見すれば、飢餓の時代は遠い過去の出来事となったように思えるだろう。食糧そのものが不足しているわけではない。むしろ収穫量だけを見れば、帝国の備蓄は十分すぎるほどだ。

 問題は、人々の価値観だった。近年、アルヴェイン王国から流入した太陽神教の教えは、帝国内にも浸透しつつあった。

 ――より良い食事を。

 ――より豊かな暮らしを。

 ――信仰深き者には、それに相応しい祝福を。

 そんな甘美な思想は、人々の心へ静かに根を張っていく。それは飢えを満たすための食事ではない。贅沢を求めるための食事。他者よりも豊かであることを誇示するための食事。第一の黙示録を生き延びた先人たちが戒め続けてきた価値観は、気付かぬうちに、少しずつ蝕まれ始めていたのである。続く戦争のストレスが、民の思想を歪めていく。

 整理すると、現在のヴァルディア帝国が抱える問題は三つある。

 一つ。魔国スオイエリアとの終わりの見えない戦争。北方では今なお魔族との戦いが続いており、帝国は莫大な兵力と物資を前線へ送り続けている。

 二つ。帝国内で多発する明らかな浪費と、それを正当化する思想の拡大。太陽神教の教えは、少しずつ、しかし確実に帝国の価値観を蝕み始めていた。

 そして三つ目――。

 これは、前二者とは比べものにならないほど厄介な問題だった。

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