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第二の黙示録 その1

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 第一の黙示録によって、人類は築き上げてきたほとんどすべてを失った。都市は崩れ、国々は滅び、蓄えられていた財宝も、生活を支えていた道具も、知識を受け継ぐ多くの人材も失われた。生き残った者たちが最初に求めたものは、富でも権力でもなかった。ただ、生き延びるための食料だった。

​ しかし、大地を耕す者も、獣を狩る者も、そのための道具を作る者も足りていない。保存されていた食料の大半は失われ、残された土地も荒れ果てていた。食べられる草木を探し、わずかな獲物を奪い合い、泥水で喉を潤す。飢えは、人類に残された最後の尊厳さえ奪おうとしていた。それでも、生き残った者たちは再び同じ過ちを繰り返さなかった。彼らは強欲の罪を心の底から悔い改めた者たちだった。第一の黙示録が訪れる以前、天使たちは幾度となく地上へ現れ、人類に警告を与えていた。その言葉を受け入れ、自らの欲を捨てたほんのわずかな者だけが、裁きの後にも命を残されたのである。

​ 彼らは食料を奪い合わず、互いに分け合った。狩りのできる者は獲物を持ち帰り、農業を知る者は痩せた土地を耕した。森の木の実や川の魚、季節ごとに芽吹く植物を探し、少しずつ生活の基盤を築いていった。一人では越えられない冬も、互いに支え合えば生き延びることができた。そうして人類は、長い時間をかけて復興への道を歩み始めた。その過程で生まれたのが、ルナニウム教会である。

​ ルナニウム。天使と天裁を生み出した、月の女神の名。

  生き残った者たちは、黙示録を単なる災害とは考えていなかった。それは、人類が己の欲望によって招いた裁きであると理解していた。ゆえにルナニウム教会は、再び天裁による浄化を招かぬことを第一の教えとした。食物は大地から与えられた恵みであり、独占するものではない。必要以上を求めず、得たものへ感謝し、余ったものは飢えた者へ分け与える。教会は信徒たちから、生活を損なわない範囲で少しずつ食料を集めた。集められた食料は、狩りに失敗した者や、病によって働けなくなった者、幼い子供を抱える家族へ分配された。すぐに必要とされない分は、凶作や厳冬に備えて保存された。

​ そこに豪華な祭壇はなかった。黄金の装飾も、絹の衣もない。あるのは質素な祈りの場と、皆で分かち合うための穀物だけだった。食糧難に苦しむ人々は、やがてルナニウム教会の活動と信条を信頼するようになった。月の女神への信仰は、恐怖だけによって広がったのではない。明日を生きるための食事と、人々を支える仕組みをもたらしたことで、少しずつ地上へ根づいていったのである。

 だが、その成功へ目をつけた一人の人間がいた。彼はルナニウム教会を模倣し、信徒から食料を集め、困窮する者へ分け与える活動を始めた。ただし、彼が掲げたのは月の女神ではなかった。太陽の神である。

​ 彼は、人類を裁いたルナニウムを冷酷な女神として語った。人を脅し、欲望を禁じ、従わぬ者を滅ぼす恐ろしい存在。それに対し、太陽の神は人類を愛し、その営みを祝福し、豊かさを望むことを肯定する慈愛の神であると説いた。慎ましく生きよ、と命じる月の女神。豊かに生きよ、と微笑む太陽の神。飢餓の記憶に苦しむ人々にとって、どちらの言葉が心地よく響くかは明らかだった。

​ もっと食べてもよい。もっと豊かになってよい。幸福を求めることは罪ではない。

  耳触りのよい教えと積極的な救済活動によって、太陽神教会は急速に信徒を増やしていった。だが、その太陽の神は存在しなかった。少なくとも、教会が語るような、人類を無条件に祝福する神など、どこにも存在してはいなかった。教祖は集めた食料の一部を、困窮者ではなく自らの生活へ使っていた。最初はほんのわずかだった。信徒を導く者には、十分な食事が必要だ。活動を広げるためには、良い衣服や住居が必要だ。それはすべて、より多くの人々を救うためなのだ。そう言い聞かせながら、彼は少しずつ自らの取り分を増やしていった。やがて幹部たちも同じことを始めた。

​ 珍しい肉。香り高い酒。遠方から運ばせた果実。

  飢える者たちが口にすることのできない料理が、教会の奥では毎夜のように並べられた。それでも問題にはならなかった。太陽神教会には、それを覆い隠してなお有り余るほどの食料が集まっていたからだ。人々の目に映るのは、配給されるパンと、満たされていく倉庫だけだった。教会が何を隠しているのかを疑う者は少なく、疑った者も、救済の実績を前に口を閉ざした。

​ 結果として、ルナニウム教会と太陽神教会。二つの教会の働きによって、人類は復興を果たした。田畑は広がり、家畜は増え、街道には再び商人の姿が現れた。飢えに怯えていた時代は終わりを告げた。少なくとも、人々はそう信じた。

  だが、豊かさが戻ったとき、二つの教会が示す道は明確に分かれ始めた。

  ルナニウム教会は、復興を遂げた後も慎ましさを崩さなかった。天裁による浄化を二度と招かぬよう、食物への感謝を忘れず、必要以上の贅沢を戒めた。豊作の年にも蓄えを怠らず、余剰は飢える土地へ送った。どれほど多くを得ても、それを当然のものとは考えなかった。対して太陽神教会は、よりよい暮らしを求めるようになった。最初は、すべての者が十分に食べられる世界を望んだ。次は、毎日温かな食事を口にできる世界を望んだ。その次は、より美味な料理を。より質のよい肉を。より甘い果実を。より珍しい酒を。一度知った豊かさを手放すことは、飢えに耐えることよりも難しかった。

  教会は説いた。太陽の神を信じる者には、より大きな恵みが与えられる。信仰が深ければ深いほど、豊かな暮らしを得ることができる。富も美食も、神から与えられた祝福である。その教義に従えば幸福になれると信じていた人々は、次第に現状では満足できなくなっていった。十分な食事があっても、隣人より質素であることを恥じた。腹が満たされていても、さらに上等なものを欲した。食べきれぬほど料理を並べることが、神の寵愛を示す証となった。祝祭のたびに大量の食物が用意され、手をつけられぬまま捨てられた。希少な食材を得るために森が焼かれ、海が荒らされ、肥沃な土地は一部の者が楽しむ嗜好品のために使われた。かつて一欠片のパンを分け合った人類は、いつしか、満腹のまま次の食事を求めるようになっていた。それは、生きるための食欲ではない。豊かさを示すための食事。心の空白を埋めるための美食。他者より多くを得ていると確かめるための浪費。

  欲望は、再び形を持ち始めた。
 
 月の女神を恐れる者たちは、それを暴食と呼んだ。太陽の神を信じる者たちは、それを繁栄と呼んだ。そして、地上の人々が偽りの太陽を仰ぎながら祝杯を重ねていた頃。誰にも見ることのできない天上で、ひとつの錘が静かに沈み始めていた。

  人類が再び犯そうとしている罪。

  その名は――暴食。
 

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